ガラードの歴史

  

   

出来事

1721

ガラード社はロンドンの王室御用達の宝飾品店として、この年指名されました。 その使命は英国王室の保有する宝飾品の維持管理でした。 それにより金および銀の宝飾品の製造メーカーとしてそのデザイン、品質において国際的な名声を得ることになります。1952年にはロンドンのリージェト・ストリートにあった金細工部門と銀細工部門が一緒になります。

1914

ガラード社とその関連会社は英国軍より精密火砲用ファインダーの製造の要請を受けます、というのもガラードでは既にそれに関する製造技術と機械をすでにもっていたからです。

1915

S.H.ガラード氏を会長に、C.E.ニュービギン氏を社長に「ガラード・エンジニアリング・マニュファクチャリング社」が設立されロンドンの「ホワイト・ヘザー・ランドリー社」の建物を借りてウイレスデンに工場設立しました。

1918

戦争が終わると、多くの従業員が仕事に復帰してきましたのでガラードは事業継続のため消費者向けの製品を開発しようとします。そこで若い技術者のH.V.スレード氏を技術部長として採用、彼は小型の旋盤とドリルの製造を開始します。更に当時発展しつつあった蓄音機用ターンテーブル用のスプリング・モータの需要に目をつけます。その最初のモデルは「ガラードNo.1スプリング蓄音機モーター」で、製造後、直ぐ好評な売れ行きとなります。

1919

工場建物の所有者であるホワイト・ヘザー・ランドリー社がその引渡しを求めたためガラード社は新たな場所を探します。そしてスウィンドンに移転するのですが、そこはスウィンドンで最も大きな雇用先であるグレート・ウェスタン鉄道の出身の多くの優秀な技術者がいました。

1920

ゼンマイ式モーターは引続き改良が重ねられ、結果その品質、静粛性、価格において高く評価され主要な蓄音機メーカー、コロンビア、デッカ、HMVその他ラグトン、セレクタ、コポック、イトニア、トンプソン・ダイヤモンド・ブッチャー等で使用されました。ガラード社の企業理念はその分野で入手可能なもののベストになるということです。この「スーパー・蓄音機モーター」は最初の名声を博したもので、おそらくゼンマイ式モーターで最上の製品でした。

1920 - 1928

この時期に製造された製品としては、(プリムス社)に供給された部品モーター、(カンプロ社)向けの映写ケメラ・プロジェクター、また(ワールド・レコード・コントローラー社)にはおよそ二倍の演奏時間を可能にした定速速度調整機構を供給していました。

1926

ガラードはこの年ゼンマイ式モーターの需要に応えるための資本増強策として株式の上場をおこないました。

1928

蓄音機用の電気モーターの開発が始まり、モデルEと呼ばれるベルト・ドライブ方式のモーターが出来上がりました。当時は電源が様々ありましたので交流、直流で25Hzから100Hz、50Vから250Vまで対応可能でした。更にモデルEDに改良がされています。AC電源が一般的になるにつれ、最も蓄音機用電動型モーターとして人気のあったモデルAC4とAC6が開発されました。

1930

一連のモーター開発は最初の蓄音機の開発に結びつきます。それまではモーター製造のみでした。それはちょうどゼンマイ式のモーターで行ったように最高級の蓄音機用ACモーターの製造を決断します。このダイレクトドライブ式モーターは良く知られたガラード201となります。このモデルはBBCで採用され更に他の放送局、映画業界でも使用され、ハイファイ・ファンの間でも高い人気を博しました。 最初は78回転専用でしたが、後に33回転も可能に仕様変更され、映画業界の16インチ・レコードでも使用されました。このモデルは後にトランスクリプション・ターンテーブルと呼ばれる最初のものです。

1931

子会社であるガラード・クロック社は親会社が製造したスプリング・モーターを使用した時計の製造販売を開始します。

1932

最初のガラードのレコード・チェンジャー「RC1」は78回転のシェラック盤用にE.W.モーティマー氏により開発されました。当初AC電源であったものはRC2ではACとDCで使用が可能になり、その後新しいチェンジャー機構が開発されRC4では高い人気を誇りました。およそ4500台が5年間の製造されています。ラジオ受信機とアンプの開発さらには電気式ピックアップの出現は旧来のアコースティック式ホーンシステムに取って代わることを意味しました。この流れは電蓄及びレコード・プレーヤーの売り上げを飛躍的に増加させ、ガラードはターンテーブル用のピックアップとアームの製造を開始します。

1938

RC100レコード・チェンジャーはレコードの両面再生ができ、10インチ、12インチを混ぜて再生可能でアメリカ向けに生産されました。

1939 - 1945

多くの時計をべースにしたメカを使用した地雷等の軍事用製品の生産を終了しました。

1945

S.H.ガラード氏の死去に伴いその関連部門はガラード社の王室御用達の宝飾品に移り、ガラード・エンジニアリング・マニュファクチャリングは全く別の組織となりH.V.スレード社長が率いることになります。競争は益々激しくなり新しいレコード・チェンジャーが次々に開発されます ・・・・・ モデルTC30(1946年)。このモデルはその需要の高まりと共に相当数が生産されました。このモデルが78回転レコード用モデル最後のものとなります。

1948

モデルRC70レコード・チェンジャーは新しい規格である(LP)10インチ/12インチ、33回転/45回転のビニール・レコード再生用で78回転も可能にしています。このモデルは1950年に発売されるRC80の先駆けとなるものです。RC80は長年にわたり販売され、その多くがアメリカ向けでした。この新しい規格のレコード(LP)用の軽量型ピックアップ、アームが開発され、RC80はマグネティック・カートリッジを搭載した最初のモデルです。

1954

ガラード301ターンテーブルがハイファイ市場に登場すると、その卓越したデザインと性能で瞬く間に人々の憧れの的となりました。完全に整備された301は今日でも多くの需要があります。当初そのメインターンテーブルの軸受けはグリース・ベアリングでしたが、後にオイル・ベアリングに変更されます。塗装は初期のハンマー・グレーから白に変更されます。この年、時計製造は価格競争のために生産を終了しました。

1957

ガラードはステレオレコードが市場に登場すると、最初のステレオ・ピックアップであるモデルGCS10を発売します。モデル4HFは1965年に登場します、最終的に製造が終了するまでに約10万台が生産されました。TPA12インチ・トーンアームは1958年に発売されステレオとモノラル・レコード再生用として使用されました。高さ調整、針圧調整機構が装備されらプラグイン・ヘッドで使いやすいものでした。

1958

深刻な工場火災が発生、しかしながら地元の有力企業、プレッシー社から工場スペースの一部を借り受ける等の援助のおかげで直に生産を再開しました。更には部品生産のためにブランズドンにある小さな工場を取得しました。

1959

新製品のオートスリムシリーズはプレッシーからの援助で発売にこぎつけました。SP25はおそらくラードが製造した製品で最も人気のあったモデルです。

1960

ガラードはプレッシー・グループの会社の一部になり、スウィンドンに工場を入手しました。ウィグアンにはリバプール港を経由して主にアメリカけ送られた輸出製品の製造工場がありました。1962年の後半にH.V.スラデ氏がなくなるとプレッシー社の一部門となったガラードはT.H.リチャード氏が取締役として率いることになります。

1961

ガラードは斬新なマガジン・テープ・デッキを開発しますが、これは1963年にフィリプスが発売したコンパクト・カセットに比べ扱いにくいため、残念ながら失敗に終わりました。

1964

モデル「ラボ80」は最初の高性能プレーヤーの機能を持ったレコード・チェンジャーとして発売されました。木のアームが付属しており、様々な調整機能が付いていました。

1965

ガラード401が301に代わって発売されました。 この401は1977年までその生産された台数は累計5万台にもなります、まだ今でも世界中で多くのオーディオファンにとって宝物です。モデルSP25がMk−Iとして発売され、Mk−IVバーション、ディスコ・バージョン、更にはディスコ80になるまで長年人気がありました。

1971

ゼロ100オートマチック・ターンテーブルは革命的なリニア・トラッキング・アームを装備して発売されました。ガラードはこの開発により多くの賞を獲得しています―― 女王賞、イタリア・メルキュリオドール賞、アメリカ・エミール・ベルリナー賞。

1975 - 1976

ガラード最初のダイレクト・ドライブ・プレーヤー、DD75の生産が開始されます。GT20/25および35が発売され、デザインの変更をうけながら1979年まで生産が継続されます。

1978

DDシリーズ、DD130、DD131、DD132はこの年の秋にガラードが設計、製造したモーターを組み込み発売されました。改良型のGTシリーズはGT250とGT350というモデルで発売されます。

1979

ガラード・ブランドはブラジルのグラディエンテ・エレクトロニクス社に売却されます。

1992

スィンドンに残っていた元取締役に率いられた小さな開発チーム部分的に閉じられます。

1992

テリー・オサリバン氏は1958年、彼にとって最初のブッシュ社のレコードプレーヤを手に入れて以来、ターンテーブルとの関わりを持っています。1960年代のガラード301の人気から1979年にプレーヤー・キャビネットの製作を開始、スインドンの近くで最初の401を手に入れます。彼はガラード・ターンテーブルのコレクションを始め、1990年には301と401の修理を始め、オックスフォードで「ウェストウッド・アンド・メゾン」というオーディオ・ショップを経営していたジュリアンとナイジェルの応援を受けローリクラフト・オーディオ社を設立しました。オサリバン氏はスウェインドンにあったガラードの開発部門をしばしば訪れ、1955年にそこが完全に閉鎖されるまでそこの人々との接触を持っていました。

1997

スウィンドンの閉鎖の後、オサリバン氏は1997年にグラディエンテ社との話し合いを開始、ガラード・ブランドの使用に関する許諾の承認を取り付けました。グラディエンテ社は引き続きターンテーブル等の開発の希望がありましたのでオサリバン氏はその要望に応えるべくその後ロンドンで開催されたオーディオ・ショーで賞を受けるガラード501を送りだします。

2000〜

少人数のチーム、オサリバン氏、ナイジェル(オックスフォードのオーディオ店から招聘)それとマルチナ(トーレンスとオルトフォンで働いていた経験のある)はあるときはロンドンで、ミュンヘンで、またラスベガスのハイファイ・ショーで見かけるはずです。そこでは人気のターンテーブルがハイエンドアンプ・システムをドライブしつつ、多くのガラード・オーナーの方々とガラード・ターンテーブルに関する歴史、技術に関してお話ができる機会も持たれるはずです。.

 

 

 

注)ここに記述している事項はオサリバン氏、ロイ・プールトンしとE.W.モーティマー氏さらにはスウィンドン商工会から情報です。