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PJW3●クォードの設立者ピーター・ウォーカーとThe QUAD electrostatic speaker ESL

ピーター・ウォーカー氏のたくさんある功績の一つは、二つの非常に優れた静電型スピーカーを世に送り出したことです。QUAD静電スピーカーESLは後のESL63とともに、約50年間にわたり、QUAD有名なキャッチフレーズの通り、−Closest Approach of the Original Sound−「オリジナルサウンドへの最接近」を忠実に実現してきました。

英国QUAD社が1996年、その初期モデルESL57の生産を終了することになり、QUAD Musikwiedergabe(当時QUAD社のドイツの輸入代理店)はドイツに必要なツールを引き継ぎます。まず、このスピーカーのための主要なスペア部品を製造開始しましたが、まもなく生産は、英国での生産ではもう製造されなくなったQUAD ESLのほぼすべての部品まで拡大されました。

Q&A QUAD Muskwiedergabe GmbH について
ESLスピーカーの存続に取り組むドイツQUAD Musikwiedergabe



●マンフレート・シュタインとESL57
1976年,19歳の若さで私はハイファイ・ビジネスの世界に飛び込みました.自分でディーラーを開業し,クォード ,バング&オルフセン,トーレンス, ルボックス,タンバーグ,KEF,セレッションなどのブランドを扱っていました.その中でもクォードの製品は,常に私の情熱をかき立てるものでした.このような独創的なものが,どのように考え出されて製品化されてくるのか知りたくて,英国クォードに何度も連絡を入れたものです.製品だけでなく,その背景にあるものすべて(バックグラウンド)が,私の探究心を刺激してやみませんでした.

●クォード・ムジークビーダーガーベはどのように設立されたのですか?
1989年,私とフランク・ヒルシュ(Frank Hirsch)博士が共同して設立しました.社名の中にクォードという名称を入れることは,英国クォードのピーター・ウォーカー(Peter Walker)本人からの要望でした.最初のステップはドイツ国内でクォード販売網を形成することでした.その後,ピーターがクォード社を売却せざるを得ないときがきた際,クラッシック・クォードの静電型スピーカーの静電パネル製作に使われていたジグを私たちが引き継いだのです.1996年,クォード・ムジークビーダーガーベは輸入代理店という形態から小規模ですがメーカーとしての形態に移行し,世界中に存在するクォード愛好家にスペア・パーツを供給する業務を開始しました.驚くかも知れませんが,私たちは英国クォードのサービス部門にも部品を納入しています.クォードの部品がドイツで生産されて英国に送られているのです.供給事業を始めた当初の数年間は,クラシック・クォードの静電型スピーカーを構成しているその他の部品の製作方法の研究に全力を注ぎました.現在では,静電型スピーカーを構成しているあらゆる部品を供給することが可能です.また,クラシック・クォードの静電型スピーカーならどんなものでも新品と同じコンディションに戻すことができるスービスも提供しています.



●ドイツに移送されたジグ--ESLのジグをドイツに移送したのは,誰の発案ですか?
私とフランク,両名の発案です.私たちはクォードと深く関わるうちに,クォードというブランドを守ることに責任を感じるようになっていました.また,ピーターが生み出した他に類を見ない独創的な製品をこれからも存続させていきたいという強い意欲も持っていました.これはまた,私たちの小さな会社をそれまで予想もしていなかった新しいフィールドで飛躍させるための好機でもありました.

●フランク・ヒルシュ博士について,もう少しお聞かせください.
1989年,フランクと私がクォード・ムジークビーダーガーベを設立しました.そのとき既に,フランクはピーター・ウォーカーの長年の親友でした.私より約30歳年上で,ハイファイ産業で一流のキャリアを積み重ねてきました.トーレンス,EMT,スチューダー,そしてマイク・メーカーのノイマンなどで勤務していました.実は私がフランクと知り合ったのは英国クォードのはからいで,1988年のことでした.一回目の顔合わせですぐに,双方がドイツ国内でクォードの仕事をしたいと強く希望していることが分かりました.思い起こせば,このときの出会いがクォード・ムジークビーダーガーベ設立への小さな第一歩だったのです.会社内で私とフランクは長い間役割を分担してきましたが,数年前にフランクの分担を私が引き継ぎました.フランクは今も健在で,ドイツ南部,スイスとの国境近くで暮らしています.

ESL57とはどんなスピーカーですか?
クォードの原器といえるモデルです.1955年,ピーター・ウォーカーがプロ音響雑誌ワイヤレス・ワールドで静電型スピーカーを発表したとき,大きな話題となりました.それから二年後に発売されたのがESL57です.その独特の形状は,しばしば「色褪せない英国流(timelessly British)」と呼ばれてきました.80年代半ばまで,一切改良を加えられることなく生産が続けられました.ある時点で,クォードはESL57の生産を永遠に停止することを取り決めました.それは,後継機のESL63を,品質で57を上回るものとしてデビューさせるためでした.この話が伝わると,多くの57ファンから反対する声が上がりました.同時に57の入手希望者が急増し,中古市場の価格が高騰し,程度のよいものには定価以上の価格で取引される状況になりました.ピーターの意に反して,ESL57の価値が再認識される結果となったのです.現在,ESL57の生産は私たちが続けています.


●ESL57の部品類  ESL63とはどんなスピーカーですか?
ESL63は,ステレオ時代のプロフェッショナル・ユースを対象に開発されました.ESL57が開発された時期はモノラル録音の時代です.50年代末期にステレオという概念が紹介されましたが,ESL57が発売されていた時期は,ステレオが普及していく時代とちょうど重なります.従来のスピーカーでも,ステレオ・ユースに転用して目立った問題が生じることはありませんでした.しかしながら,一部のリスナー,特にプロのレコーディング・エンジニアの間から,さらに大きなステレオ・イメージを提示できるスピーカーを望む声が出始めました.レコーディングの仕事を的確にこなすには,アーティストのサウンドや存在感をそのまま眼前に再現できるようなパーフェクトなスピーカーが必要だと彼らは感じたのです.この要望に応えるため,ESL57の後継機の開発が始まり,開発期間は実に18年間(1963〜1981)に及びました.もちろん開発のテーマは,ステレオ時代のリファレンスを完成させて,完璧なレコーディングを支援することです.こうして生まれたのがESL63です.自然界の物理法則を重視して開発された結果,音調はESL57と大きく異なるものとなりました.しかし,サウンドは非常に優れています.57と63は好対照な存在として,現在も併存しているのです.



●ESL63 ESL57とESL63の末尾に“QA”を付したモデルが発売されています.これはどんなスピーカーですか?
ピーター・ウォーカーの哲学が色褪せることはありませんが,それを実現するための周辺技術は日々進歩しています.そうした技術を往年のESL57及び63に反映させるため,私たちは新たな部門としてクォード・アトリエを設立しました.QAはその略号です.このアトリエに与えられた任務は,受け継がれてきた生産技法によるオリジナルの部品を用いて,新たなスピーカーを作ることです.スピーカーのフレームを往年のものよりずっと剛性の高いものに変更するなど,改良がいくつも施されています.そこで生産されるモデルにはQAの記号が付けられるのです.いずれにしても,アイディアはピーター・ウォーカーのものです.そのアイディアを用いて,原音にさらに一歩近づこうとする思想がQAには込められています.



●ESL63QA   同じ静電型スピーカーとして,ブラウンLE1というモデルがライン・アップされています.
LE1はデザイナーズ・モデルです.50年代末期,ドイツのウルム大学の学生たちは家電メーカーのブラウン社と共同でラジオ・セットのデザイン・ワークを行っていました.そのテーマには,実用的,合理的,明るいコンセプトなど様々なものが設定されていました.工学設計で名高い同学の教授陣の中でも,ディーター・ラムス(Dieter Rams)はプロダクト・デザイナーかつ建築家としてひときわ著名でした.このデザイン・ワークの中で,指導者としてラムスがデザインしたスピーカーが,デザイン史に名を残すこととなったブラウンLE1です.エレメントにはクォードの静電型を使用しています.残念ながら,このLE1はわずか500セット程度しか生産されませんでした.当時としてはあまりにユニークなデザインだったため,前衛芸術を愛する少数の野心的ユーザーにしか受け入れられなかったためだと考えられています.このため,保存状態のよいLE1はとても希少で,とんでもない価格で取引されていました.
12年前,私たちはディーター・ラムス当人からLE1を再生産する許諾を得ました.もちろん,これが可能だったのは,私たちがクォードの静電型エレメントを生産しているからに他なりません.ラムスはクロンベルクという小さな町で今も健在です.そこはフランクフルト近郊で,高原地帯に位置するクォード・ムジークビーダーガーベからは150 kmほど離れた場所です.



●ブラウンLE1   静電型ヘッドフォンもライン・アップされています.
フロートQAのことですね.ユルク・イェックリン(Jurg Jecklin)が開発にあたった静電型ヘッドフォン,初代イェックリン・フロートが発売されたのは1971年でした.モニタリング用途においてパーフェクトに近いものでしたが,その当時はこのヘッドフォンがこれほど有名になるとは誰も想像できませんでした.
フロートは当初からレコーディング・スタジオで使用するためのツールとして開発されました.音響特性が完璧なスタジオというものを実現することは不可能に近く,完璧でない空間にどれほど優秀なモニター・スピーカーを持ち込んでも,理想のモニタリングはできません.それならば,優れたヘッドフォンを開発する方が有効だと考えられたからです.現在,初代イェックリン・フロートは,伝説的なレコーディング・ツールとしてマニアの間で語られるようになっています.事実,このヘッドフォンを使って,世界のいたるところでレコーディング・エンジニアたちが日々の仕事をこなし,高度なマニアがそのナチュラルなサウンドと優れた空間表現力を楽しんできました.
これを復活させたのが,私たちのフロートQAです.ヘッドフォン本体は初代よりも軽くなり,装着感の改善にも工夫を凝らした結果,音楽鑑賞中はその重さが気にならないようになっています.このヘッドフォンは構造上電源装置が必要です.そのため高品質の電源装置も開発しました.トランスの性能に一切妥協しなかったため,この電源装置の重量は10kg近いものとなってしまいました.しかしコンセプトは同じなので,40年前の初代フロートにも使用可能です.初代をお持ちのかたは,この電源装置で確かな改善を聴くことができます.なお,私たちは初代フロートを新品同様の状態に戻すことができるサービスも行っています.
このヘッドフォンの構造は,二台の小型の静電型スピーカーそのものです.この二台を左右の耳に対して理想的な位置に固定するように工夫したものがフロートなのです.フロートというネーミングは,耳に接触せずに浮いていることを意味しています.開放型がもたらす自然な再生音は,何時間も聴き続けることが可能です.粋ないいかたをすれば,「ワーグナー鑑賞用」です.

●ユルク・イェックリンについて少しお聞かせください.
私とユルクは本当に長い付き合いの友人です.そしてまた,ユルクはピーター・ウォーカーの大親友でもありました.いわゆる「トーン・マイスター」として,ユルクは音楽の録音及び再生技術の発展に深く関わってきました.トーン・マイスターとは,音の入り口である録音現場のマイクのチョイスや設置方法から,ミキシングを経て,音の出口であるモニター・ルームのスピーカーの設置方法まで総合的に管理する,音の総責任者です.レコーディングの世界ではイェックリン・ディスクといステレオ録音技法が知られています.その名のとおり,考案者はユルク本人です.特性のそろった2本のマイクを至近距離にセットして,その間に円盤を垂直に立てることによって,互いを「音の陰」に置く方法で,明確で深々としたステレオ・イメージを録音できることが特長です.簡単な装置ですが,「音の陰」という発想を思いつくところが,ユルクの非凡さを示しています.ユルクは若いころ,スイス放送協会のラジオ局でサウンド・エンジニアのチーフをしていましたが,モニターとしてクォードの静電型を何よりも頼りにしていました.ユルクは,スピーカーにせよヘッドフォンにせよ音楽の再生には静電型が最良という考えをもち続けています.ユルクが70年代初頭に開発した初代フロートももちろん静電型でした.



●後進の指導にあたるユルク・イェックリンと「イェックリン・ディスク」   私たちとユルクは二年間かけてイェックリン・フロートのニュー・バージョンの開発に取り組みました.特にヘッドフォンの装着感を快適化するアイディアのほとんどはユルク本人が考え出したものです.その案に従ってクォード・アトリエのスタッフが様々なマテリアル,形状の試行錯誤を繰り返し,ユルク本人がOKを出すまでブラッシュ・アップを重ねて完成させたものがフロートQAです.

●クォードの設立者ピーター・ウォーカー  ピーター・ウォーカーといえば,日本でも伝説的な人物です.どんな思い出がありますか?
最初に会ったのは1986年です.いっておきたいのは,私は最初からピーターの個人的崇拝者などではなかったということです.私を虜にしたのはピーターが生み出した作品群なのです. そこで,作品のバックグラウンドとなっているアイディアを調べてみると,それは作品以上に興味深いものでした.さらに,そのアイディアのバックグラウンドを調べていくうちに,ピーターのことをいろいろと知るようになったのです.
この年,クォードの関係者が集まった際のことが一番の思い出となっています.その会合では新製品について勉強会を開いたのですが,レジャーとして小型ボートで河川の散策も楽しみました.場所は英国のハンティンドンに近い小川でした.一艘につき4〜5人乗りで,ボートの数は相当多かったです.当時の私は一介の若者に過ぎず,会の「新参者」でした.そんな私に対し,ピーターは自分と同じボートに乗るようにいったのです.同じボートにはピーターの最初の妻ペギーも乗っていました.

●クォードの設立者ピーター・ウォーカークォード・フェスタを毎年開催されています.どのような催しですか?
2005年,クォード・ムジークビーダーガーベは高原地帯のゲリングという小さな村の新社屋に移転しました.旧社屋が手狭だったことが理由ですが,実際に新社屋に移ってみて,そこが素晴らしい所だと感じるようになりました.そこで,クォード・ユーザーを招いて新社屋と私たちの作業風景を実際に見てもらい,お互いに情報交換できる場を提供することを企画しました.この催しをクォード・フェスタと呼ぶことにしたのです.
初回の2005年は約80名が招待に応じて集まりました.初回が好評だったため,毎年定期的に開催することに決めました.2012年9月に開催したフェスタでは,350名以上の参加者がありました.参加者はヨーロッパ全土から集まり,はるばる米国やオーストラリアからも数名の参加者がありました.回を重ね,フェスタはクォード愛好家の「家族会」のような雰囲気に変わってきています.今回のインタビューを機に日本からの来訪者があれば,光栄です.



● 日本ではサウンドボックスが代理店となっています.
サウンドボックスの箕口勝善氏とお会いしたのは,およそ12年前にドイツ国内で開催されたハイファイ・ショーでした.箕口氏も私と同様,英国クォードのバックグラウンドに興味があり,意気投合したのです.また同氏はクラシック・クォードのスペア・パーツにも関心を持っておられました.実際,多くのQUADファンが日本にいらっしゃることを彼から聞き、私たちと一緒に静電型スピーカーの修理業務開始、日本のQUADファンに対応していただいています。.同氏とは親友ですし,お互いの会社の関係も極めて良好です.現在ではインターネット等の通信技術が発達して,地球上のどこからでも私たちに直接コンタクトを取ることができるようになりました.そのような今日でもなお,日本のサウンドボックスが私たちのパートナーとして同国で仕事をしてくれていることは,心強いばかりです.ピーター・ウォーカーや私たちの哲学を日本語で語れる人物がいることは,とても重要なことだからです.

 

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